こんにちは、わい氏です。
私達は国が定めた基準に基づき、小学校・中学校と義務教育課程を通り、国が定めた要領に基づき勉強しなければいけないことになっています。
日本国民の3大義務にもある通り、大人・親は子供に教育を受けさせる義務があり、基本的には大多数の子供はこの過程を避けては通れません。
- なぜ勉強をしないといけないのか?
- そもそも勉強で得た知識はなんの役に立つのか?
- 学歴を持つことが正義なのか?
こんな愚痴に近い自問自答を繰り返しながら学生時代を過ごす方も多いと思いますが、学業という意味での勉強や学歴の必要性に対する考え方を私なりに整理してみました。
特に学業として勉強することに迷いを感じている中高生の方には参考になるかと思います。
結論として
自力ですでにお金を産み出せるというのであれば特段必要はないのではないかと思います。
一方、もし産み出せないのであればとりあえずは勉強して一定以上の学歴を持つこと、もしくは産み出すためのスキルを身につけることを目指すべきと考えます。
これからの「成功」の形は変わってくる
昭和から平成にかけては勉強ができていい大学を卒業し、大企業に入ることが一つの成功の形と捉えられおりましたが、令和以降のこれからはそうでは無くなってきているというのは周知の事実かと思います。
学業の中で勉強した内容は社会人になって以降、ほぼ活用機会がなくなります。少なくとも偏差値の高い学校への合格に必要なほどの内容はほぼ活用機会がありません。
研究職であれば活用機会あると思いますが。低学歴が鼻で笑われる時代はもう終わります。
これからは稼ぐためのスキルを持った人が重宝されるであり、企業もそういう採用方式を取り入れ始めています。
また、もし自力でお金を稼ぐスキルがあるのであれば企業に入って従業員として働かなくても、自身でビジネスを起こして会社を運営したほうが圧倒的に稼げます。
私はサラリーマンですが、これからはそういう選択もありではと思っています。
これまでの学歴を持つことに対する考え方
そもそも、勉強ができるというのは、その知識を身に付けられたか、高得点を取れたかどうかが重要なのではないと考えています。
平等に与えられた時間の中で、平等な出題範囲の中でどれだけ物事を正確に学習できるのかを様々な視点(科目)測っているに過ぎないと思っています。
そのため、勉強ができる人は学習能力が高いため、仕事における正確性も優れ、企業にとってはより富を産み出してもらえる可能性の高い人材としてみなされるため、高学歴の人が良い会社に入りやすくなっているという構造です。
ただ、勉強ができるかといって仕事ができるとは限らない、あくまで労働者として富を産み出してくれる可能性が高そうだから企業としては優先的に選択しているに過ぎないということです。
世の中で稼ぐ手段は大きく2つだけ
世の中稼ぐための手段は頭を使うもしくは体を使うの2パターンのみです。
例えばスポーツ選手は体を使って稼ぐ代表例です。
体を使って表現し、そのエンターテイメントに対し報酬をもらう、もしくは小手先で技術を身に着け、モノを作って売ることで報酬をもらうパターンが体を使って稼ぐパターンです。
これらはある意味で稼げるスキルがあるからこそ成り立つことです。
体で稼げない、頭でも稼げるスキルがない場合は、まず学業で高学歴を取ることで様々なスキルを身につける選択の幅や機会が拡げることを目指すべきなのです。
まとめ:稼ぐ力がないのであれば、学生のうちは学力で勝負せよ
学歴を持っていればその後の進路において選択肢が広がるため、将来何に役に立つか等は考えずに高学歴を持つことだけを考えると良いと思います。
すでに稼げる力があるのであれば、高学歴である必要はなく、早いうちに大人の社会に入り、社会人としての成長を目指すことをお勧めします。
それが資本主義におけるあるべき生き方ではないかと思う次第です。
では!
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